あふれる情報の処理

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 高度情報化社会と言われて久しいです。今はネットにアクセスすればたいていの情報を手に入れることができます。情報過多な時代に、 次から次へと飛び込んでくる大量の情報をいかに裁くかは重要なファクターです。
 さばきかたの一例は2006年10月11日のエントリーで取り上げましたが、 あえて情報を取り入れない方法を考えてみます。

 一昔前に比べるとアクセスできる情報は飛躍的に増えました。20年前なら書籍やTV、 ラジオと言った旧メディアからしか情報が入ってきませんでしたが、今ではネットを通じて処理しきれない情報が飛び込んできます。

 旧メディアのプッシュ型コンテンツから、自分で情報を探すスタイルに変わってきています。 プッシュ型コンテンツはネットでもさまざまなサービスがスタートしましたが、ほとんど残っていません。つまり、 主導権はユーザーに移ったと言うことです。

 さて、ユーザーが主導権を握るようになり、自分に興味のある情報だけにアクセスするようになりました。しかし、 結果としてその時点で不必要な情報までもどんどん取り込む構図ができあがっていると思います。
 たとえば、BLOGや2ちゃんねるなどはその最たるもので、興味のあるテーマ(あるいは日常的にチェックしているサイト)から、 複数の関連サイト、それらに張られたリンクをたどってしまう嫌いがあります。2ちゃんねるの場合は、スレから張られたリンクと言うより、 関連スレを読破することを指します。

 ひたすらコンテンツからコンテンツを渡り歩く行為(いわゆるウェブサーフィン)は、 見方を変えるとプッシュ型コンテンツを見ていることになります。オンデマンドで行動しているため、それに気づいてないだけでしょう。

 しかし、情報の量は増えましたが、我々の時間は増えてません。つまり取り込むことのできる情報の量に限りがあると言うことです。 吉田はたまに秋葉原や繁華街で店を探していると、気持ちが悪くなることがあります。 目に飛び込んでくる店の看板やネオンの情報量に頭がついてこれないようです。

 処理しきれない情報は取り入れても毒にしかなりません。吉田も以前は毎日定期的にBLOGなどを巡回していましたが、 今ではたまに作業の気が乗らない時に見るだけです。これでも生活に支障はありません。
 もちろん、新たな情報を取り入れるのは重要ですが、そればかりでは何の意味もありません。 「情報をインプットしたらそれを処理し、何かをアウトプットしてこそ意味のあるサイクル」といえます。

 吉田のお勧めの方法は書籍やネットなどで何らかの情報がインプットされた後は、それ以上の情報の取り込みをやめ考えてみることです。 「知っている」という状態を「知識」や「知恵」 に昇華させるにはこの作業は不可欠です。インプットされた情報を自分の血肉に変えなければ、 情報は右から左に流れるだけでノイズと変わりません。

 このエントリーも吉田が電車の中で読んだ本やネット情報を、歩いている最中に咀嚼して思いついたものです。 多くの情報を取り込むことに躍起になっている方は、一度おためしあれ。

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