ネットに蔓延する2つの病気

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 はじめに書籍の紹介をします。コモエスタ坂本著 「低度情報化社会 Ultra Law-Level Information Society」です。この本は、 ネットワーク社会になり、あふれかえるジャンク情報により「高度情報化社会」ではなく、逆に「低度情報化社会」 になっていると警鐘を鳴らしている本です。
 ちなみに表題の英語名が「Law」になっていますが、正しくは「Low」ですね。吉田の誤字ではなく著者の誤字です。

 この本の表題にもなっている「低度情報化社会」を簡単にまとめると下記の通りです。

 低度情報化社会とは、ネットワークの発展によりこれまで以上に多くの情報であふれかえるようになったが、 逆に情報自体の質は低下社会のことを指します。
 また、大量の情報により、それに触れた人が情報の平準化を引き起こす現象について捉えています。要は、大量の情報のおかげで、 より低品質の情報レベルで平準化されてしまったことを「低度情報化社会」と呼んでいます。

 Web2.0時代だと叫ばれ、その代表的なアプリケーションとして、 BLOGやソーシャルネットワークなどがあげられています。実際には2ちゃんねる、スラッシュドットなどもこの中にはいると思います。
 Web2.0に限らず、特定のコミュニティではその情報に触れた人が、発信者と情報を共有することで著者の主張している 「情報の平準化」が起ります。著者による表現を借りれば、「バカはよりバカに、利口はそれなりのバカ」 になるそうです。
 確かに現象を定義された後、よくよくネット社会を見渡すとそれに回答する事例が出てきます。

 「情報の平準化」は確かに著者がいうような側面をもたらします。また、 ネットの情報にアクセスできるものとそうでないものの間には格差が生じることもあります。これを「デジタルデバイド」と呼んでいますが、 著者が定義している現象とは別の問題です。

 平準化がよいか、格差が良いかは別問題ですが、吉田はもっと大きな問題がそこにあると思っています。それが 「思考停止」です。著者は「低度情報化社会」を生き抜くために、あえてネットに繋がず、古典を読んだり、見識を高めるように薦めています。
 しかし、電化製品に囲まれた生活を手放せないように、一度手に入れたシステムを手放す人はいません。

 つまり、ネットからさまざまな情報を得る社会、マスに向けた情報発信から、個々の情報発信する社会にシフトし、 これはもう引き返せません。引き返せる自信がある方は、まず携帯電話を投げ捨ててみましょう。

 吉田は検索エンジンを見たときに、「もう情報の洪水は止められないところまで来ている。 これからは情報の取捨選択できる目を養う必要がある」と感じました。まだまだ考える余地はあると思っていますが、 子供に見せたくないウェブサイトをフィルタリングするのは間違っています。 それを見て善悪を自分で判断させる必要があると思っています(判断力がつくまでの期間が問題ですが)。

 情報発信の機会が増えるほど、指数関数的に「ジャンク情報」が増えるでしょう。しかし、 それらの情報に触れたとき、「知る」だけで満足せずに、自分の中で「考えてみる」 ことが重要です。

 残念ながらこの本の著者は「思考停止」に陥っています。自らが考え出した「低度情報化」 という概念に当てはまる人を「低度化くん」という「レッテル貼り」をし、 その先の思考を展開していません。特におかしいと思ったのは、本文中で「BLOGはクズ」と切って捨てた割に、後書きで「BLOGを賞賛」 するような書き方をしている点です。「レッテル貼り」は典型的な思考停止だと思っています。

 大量の情報を目の前にすると、レッテル貼りや流れに身を任せる方が楽な局面が沢山あります。 実際に吉田もそのような場面によく出くわし、流れに身を任せることがよくあります。
 記憶で申し訳ないですが、映画監督の「故・小津安二郎」が残した言葉に、「何でもないことは流行に従う。 重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」という名言があります。吉田も大量のジャンク情報を目の前にしたとき、 この言葉に従っています。

「情報の平準化」は確かにネット社会の病気ですが、それよりも重大な病気は「思考停止」です。自分がそうならないように、常に問い続けています。



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