これからの著作権について考えてみる

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 各所で著作権について活発な議論が行われています。年の瀬で取り上げるようなネタではありませんが、 来年までひっぱるのもイヤなので、年内のエントリーとして取り上げます。
 そもそもの発端は、現在著作権法で決められている保護期間を、50年から70年に延長しようという動きです。

 吉田はこのネタを12/14のエントリーで取り上げました。 吉田は基本的に延長反対派です。「著作権は誰のためのものか?」 というのが主眼にあるためです。 現時点では、ディズニーが自社の権利を守るために、アメリカの著作権保護期間を延長したように、 著作者ではなく権利でビジネスをしているものに利があると感じたからです。

 ここで、賛成派と反対派の代表的な意見をとり上げてみたいと思います。

■反対派「絵文録ことのは」

 「著作権者」を保護すると言いながら、実は著作権者本人には何のメリットもなく、 遺族などを保護することばかり主張しているところで、すでにおかしいわけである。「著作権料生活者の家族や権利を有する企業を保護せよ」 と正直に言えばまだ筋が通るものを、なぜ「著作権者のため」という大うそばかりつくのだろうか。

■賛成派「ナガブロ」

 著作権法の目的は文化の発展である。そして出版社やレコード会社に経済的利潤を与えることは、 十分に文化の発展に寄与するのではないか。だからこそ著作権法は著作隣接権を認め、 著作物の流通に携わる人々にも著作物に対する権利を認めている。
 出版社やレコード会社はどこも創作に投資して、収益をあげることだ。彼らに収益を与えることは、 創作への投資をうながすことにつながっているんじゃないか。
  500円DVDを売るデッドコピー屋をいくら保護しても、創作へのインセンティブにはつながらない。

 反対派の「ことのは」さんは自分の死後の権利よりも、生前の権利を保障し、 また自分の著作物が新たな著作物の糧になって欲しいと願っています。延長に対しては、 権利を使ってビジネスをする企業の利益でしょと主張しています。
 一方賛成派の「ナガブロ」さんは、出版社やレコード会社は新たな文化的活動のために投資をする必要があり、 そのために企業が儲からなければならない。と主張しています。ナガブロさんはエーベックスも例に取り上げていましたが、エーベックスは 「のまねこ騒動」を引き起こしたとき、当の歌手グループを発掘しましたが、唄の意味をおもしろおかしく解釈し、 結果として使い捨てにしているので、企業の理念を真に受けるのはどうかと思います。
 また、著作者の死後、その著作物の権利を行使するのはどうでしょうか? 生前により多くの人に売れるように努力するのが筋だと思います。ただ、ナガブロさんは、コメント内で保護期間の切れた著作物は無価値だと言い切っているので、この方に「文化」や「著作権」を語る資格があるかははなはだ疑問です。200年前の音楽家が残したクラシック音楽は無価値だと言ってるようなものですね。

 著作権法を語る上で知っておかなければならないのは、「特許」との違いです。「特許」、「意匠」、「実用新案」、「商標」 など工業所有権と、「文化の発展」を目的とした著作権法ではそもそもスタンスが違います。

 どちらも、発明者や著作者が安心して作品(発明)を世に出せるようにし、著作権は文化的発展、 特許権は科学の発展を最大の目的にしています。特許権は著作権に比べると非常に強力で、 特許を持ったものがその権利を独占的に有することができます。しかし、その期間は最大で20年であり、 独占的な権利(先行者利益)を得た後は、社会に還元しなさいとなっています。

 一方の「著作権」は、作ったらすぐに権利が発生します。わざわざ文化庁に登録申請をしたり、更新手続きは必要ありません。 著作権で保護される対象は、思想や感情などを表現したもの、演技などであり、 明確な範囲は記載されていません(プログラムやデータベースも保護されています)。
 前回のエントリーでも触れましたが、著作権は基本的に著作物に影響を受けて新しい著作物を創作することを禁止していません。 翻訳物などについての規定はありますが、類似著作物の規定はありません。

 文化の発展を考えるなら、当然パロディや類似著作物を認める必要があります。ここが特許との最大の違いです。

■吉田の考えるこれからの著作権

 現状の整理がついたところで、吉田が考えるこれからの著作権について書きたいと思います。

(1) パクリについての法整備

 著作権問題の中でよくあるのが、現行著作物に触発されて作られた「ぱくり著作物」です。勘違いしないで欲しいのですが、 作品を丸々盗用する「盗作」とは別の意味です。
 著作物の類似性については、非常にグレーゾーンとなっています。音楽や絵画など芸術性の高いもの類似性など凡人には分かりづらい、 感覚的な部分が含まれているからです。
 しかし、だからこそ、どこまでがシロで、どこからがクロかを判断するガイドラインとして法律が必要だと思っています。例えば、 思想は似ててもいい、デザインは似ていちゃダメなど。この問題を避けていると「パクリ」、「盗作」 問題はいつまで経っても解決しません

(2)ライセンスについての法整備

 賛成派も反対派も結局は創作者に対する対価の件でもめていると思います。 吉田も著作権保有者としてこの問題には非常に興味がありますが、よく引き合いに出される出版、音楽業界の印税がその最たるものです。 音楽業界は3%程度、出版業界は5?10%程度の印税率が使われています。使い古された例ですが、Amazonのアフリエイトが3%?5% であることを考えると、本や音楽を作るより、 アフリエイトサイトのひとつでも運営した方がマシというのが実情です。

 確かに出版社やレコード会社は新たな才能を世に出すための投資をしているかも知れませんが、そんなものはこの業界だけではなく、 製造やソフトウェア開発、あらゆるメーカーに言えることです。書籍や音楽のように原価率の低い業界で、 本来は原材料費にあたる著作者への人件費が非常に低く抑えられているのは、明らかにおかしいです。書籍の場合は、 さらに再販制度により価格が維持されているため、非常に手厚く保護されていると言えます。

 吉田がこの問題で危惧するのは、著作者が商業ベースで著作物を作るより、同人やネットなどの直販、もっと極端に言えば、 著作物そのものを作らなくなる方が文化的な損失が大きいと思っています。保護期間の延長は中間業者の権利を保護するだけで、 文化的にはまったく寄与してないと思っています。

(3)頒布権・私的利用報奨金制度の見直し

 出版社やレコード会社、映画会社は著作権者より頒布権を与えられてビジネスにしています。しかし、 すでに多くの著作物はデジタルデータです(出版物も例外ではありません)。このため、コピーが容易で、 Winnyなどのファイル交換ソフトによる不正コピーが横行しています。

 コピーを不可にするのは技術的には不可能です。技術的プロテクトは、 技術によって破られます(すでにBDのプロテクトも破られてるとか)。シンプルぱっと2のライセンスキーも瞬殺でした(笑)。 この手のプロテクト技術は、8割の人間が不正コピーできないように作られていると考えてもいいでしょう。

 文化的な貢献を目的とするなら、コピーに制限はあってはならないはずです。それだけ多くコピーをされる作品は、 人々が価値を認めているからです。
 しかし、(2)の著作権者およびその関連者(出版社、レコード会社)への利益の還元を考える必要があります。すると使用、 利用するごとにライセンス料が発生するシステムを考えた方が良さそうです。かといって、JASRACのようになられても困りますが。

 例えば、使用する権利、販売する権利など権利ごとに料金が決まっているシステムでもおもしろいかも知れません。

 長々と長文におつきあいいただき、ありがとうございます。

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コメント

はらぺこの中の人です。コメントどもです。
言及記事は明日以降に書かせていただこうかと思ってます。。。ぐぅ(-.-)zzz

投稿者 T.MURACHI : 2006年12月28日 01:32

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