著作権は排他的な権利か?

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 開発ネタが続いたので、ちょっと目線を変えたコラムを書きます。吉田も著作者なので、 いろいろとアンテナを張っている著作権に関するお話です。なお、著作権法や特許法の法的な解釈は専門家の方にお任せします。

 

■著作権ゴロ

 ちょっと前のニュースになりますが、Yahooブリーフケースなどのオンラインストレージはすべて著作権法違反という判断が東京地裁で下されました。 事の起こりは、ユーザーが自分のCDなどの音楽データをオンラインストレージに保存でき、 いつでも携帯電話にダウンロードできるサービスを展開していた会社に対し、JASRACが難癖つけたことが始まりです。
 どこをどうすればこんな判断が出るかは、リンク先やJASRAC問題を扱ったサイトを見てください。

 著作権がらみの問題にたびたびと登場してくるJASRAC。 こいつが巨悪の根源です。JASRACは著作者(作曲家や歌手)やレコード会社に変わって、音楽の著作権料を徴収する社団法人です。
 一言で言うなら、「代金の回収代行業者」です。回収された著作権料はもちろん、 著作者やレコード会社にも行きますが、一部は協会の運営資金になります。カラオケ等の著作権料については、多分に不透明なところがあり、 各種サイトで糾弾されていますが、ここでは取り上げません。
 要は著作権を笠にきて、みかじめ料をせしめるヤクザのような存在と思ってください。

 

■著作権の成立の精神

 吉田も著作者の端くれですから、苦労して生み出した著作物が勝手に複製され、 それで商売されるのを好みません(おっず道楽がヤフオクで競馬商材とバンドル販売されました。 またシンプルぱっとのライセンスキーが不正な手段で出回っているのも知ってます)。

 一方で、自分自身の作品が競馬ファンや競馬界に何らかの好影響を与えられれば良いと思っています。より使いやすいGUIの表現など、 多少なりとも一石を投じられたのではないかと思っています(こういうのは良いと思ったら、どんどんパクってください)。

 さて、著作物は著作権法により保護されますが、そもそもなぜ著作物を法律で保護する必要があるのでしょうか?  それはひとえに偽物を作って一儲けを試みる輩がいるためです。古くは美術品にはびこった贋作のように、 現代も本物と偽物の戦いが続いています。
(言い換えると著作物に経済的な価値があるため、偽物が作られるわけです)。

 著作権法は「文化の発展」 を目的として制定されました。つまり、偽物のために優れた作品が世に出ないのは人類の損失であるとし、 著作者の権利を法律で制定して守りましょうというものです(著作権法第1条)。

第1条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、 放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、 著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。
 
参照:法庫
 はっきり言って、レコード会社や出版社の権利を守るための法律ではありません。確かに頒布権としてこれらは定められていますが、 法の精神を無視して、この部分だけを「神聖にして犯すべからず」とする風潮に嫌気が差しています。 特にJASRACの態度がそうさせています。
 
 

■排他的な権利は特許法で

 著作権とよく混同されて語られるのが「特許」です。特許は一言で言うなら、国から 「この発明はお前が独占的に利用できる権利を別に可する」 というものです。特許で保護された発明を第3者が利用することは出来ません。利用しようとすれば、 ライセンス料等を発明者に支払う必要があります。また、特許侵害をしていると思われる製品の販売差し止めなども出来ます。
 
 排他的に強力な権利を行使できるため、特許は申請しないと認められませんし、申請しても特許庁で却下されることがあります。また、 特許が登録された後も、第3者による無効請求などを行うことが出来ます(裁判になります)。
 登録後に無効となった特許には、ある冷凍食品会社が保持する味付冷凍枝豆に関する特許に対し、 業界団体から無効であるとの審査請求を出され、特許が無効になってます。

 また、特許は最大で20年(医薬品除く)と決められており、維持するにもお金が必要です。審査をするにももちろんお金が必要です。 ちなみに著作権が文化の発展が目的なら、特許は科学技術の発展が目的です。
 
 強力な権利故に、審査のシステムや、審議のやり直し、維持にかかる費用などが決められています。
 
 一方、著作権は著作物を作成した瞬間から自然に権利が発生し、 審査や登録無しですべての権利が行使できます。もちろん、特許のように著作物の権利取消を求める請求も出来ません。
 吉田は特許の厳しいシステムに比べ、著作権の緩い制度に違和感を覚えます。自然発生的に与えられる権利に、 なぜJASRACはこれほど強力な権利を行使できるのか?
 
 

■商業的な権利は著作権とは別の考えで保護すべき

 JASRACは著作権の拡大解釈を積極的に行い、カラオケ法理をはじめとする判例を勝ち取ってきました。これにより、 JASRACは日本の音楽業界を利権の巣窟とし、 一方で文化的な発展の妨げとなっています(JASRAC印の音楽以外は認めない姿勢はまさに文化の敵です)。
 
 吉田はレコード会社や出版社がリスクをとって、 CDや本を世に送り出しているのを知っています(それでも著者にもっと還元すべきだと思いますが)。だから、 これら業者を保護する法律は必要だと思っています。
 しかし、自然発生的に与えられる著作権で、非常に強力な排他的権利を与えることには反対です。やるなら特許と同様に、 きちんとした手続きを踏めるシステムを作るべきでしょう。
 
 一方で、著作物をまるまるコピーして模造品を売るような行為は著作者が認めない限り、許すべきではないと思います。その代わり、 文化的な発展の観点からどこまでがパクリで、どこからがインスパイヤなのかを明確にする必要があります。
 優れた著作物もなにかに刺激を受けたり、模倣からはいることがあります(日本では本歌取りと言われています)。また、 同人誌のようなパロディも許容できる土壌をしっかりと作るべきでしょう。
 
 また、非商業的な複製(現在の私的複製)の権利は、利用者側の判断にゆだねても良いと思います。 代金を回収する仕組みは別のシステムの問題です。
 
 つまり、現行制度をぐちぐちいじるのではなく、それぞれの精神に基づき、 新たなシステムを作ることが今後につながる道筋だと考えています。 
 

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