情報と音楽が持つエネルギー

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 我々の周りにあるものは、何らかのエネルギーを持っています。と言っても電気やガスのようにわかりやすいものではなく、 何らかの価値を持つと言った意味合いも含みます。
 本に書かれた情報や、音楽も例外ではありません。

 例えば書籍。人は本を買うとき、そこに書かれている情報に価値を見いだすのであって、 決して紙束にお金を払っているわけではありません。本や雑誌、新聞に書かれていることに一定の価値を見いだし、お金を払います。つまり、 人がその情報に触れるとそこから何らかのエネルギーを得られる(元気になったり、力づけられたり、ためになったり…)と見ることもできます。

 音楽はどうでしょうか。たいていお金を払ってまで買う物は、あなたが気に入っているアーティスト、作家の音楽です。 その楽曲を聴くと心地いいと感じたり、何かを感じたりしています。これもエネルギーを得ていると言えます。

 実はこんなことを書くのは、以前紹介した 「ガラクタを捨てれば自分が見える」という本に共感を受けたからです。

 情報(書籍など)や音楽にはエネルギーがあり、それを見たり聴いたりしていると、それらのエネルギーはあなたの中に蓄積されます。 エネルギーを与えた楽曲や情報は次第にエネルギーがなくなり、最後にはあなたにとって価値のないものになってしまいます。

 かつて好きだった本、役に立った本、昔よく聴いた作家の音楽CDをいつまでもとっていませんか? 好きだった、 まだ聴くかもしれないという理由で捨てられずにいるというのは実によくある話です。吉田もそうでした。

 吉田が 「ガラクタを捨てれば自分が見える」を読んで捨てたのは、ため込んだビデオライブラリです。中には好きで好きで、 まさに何回も見た作品も含まれています。いつか見るかもしれないから、とっておこう。 そんな気持ちでずっと押し入れの中にしまっておきました。

 しかし、ある情報(活字、映像、音楽問わず)に触れたとき、何か刺激を受けないものはすでに、 エネルギーがなくなった状態にあるといえます。言い方を変えると、その情報は完全にあなたに取り込まれたということです。

 確かに言われてみると、吉田も好きだった作品(ビデオ)のストーリー展開や、場面場面の台詞まで克明に頭に浮かんできます。 最近その作品を見なくなったのも、いちいち時間を消費しなくても、 その作品のストーリーやそこから受ける刺激を頭の中で再現できるからだったかもしれません。

 こういう状態の情報は、よほど広い部屋にすんでない限りは思い切って処分するのが良いと考えます。部屋も広くなりますし、 あなた自身の中にも新しい情報を取り入れるスペースができたと言えます。ものを片付けるというのは、 やはり不要品を思い切って捨てることが第一歩なんだなと改めて実感しています。

 どうしても捨てるのに忍びないものは、デジタル化してとっておくというのもひとつの手ですね。サイバースペースは、 現実のスペースと違って保存のコストは安くすみますし、現物がなくなってみて、何年かして本当に不要なら完全に捨てることも容易になります。

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